中央西線廃線跡(前編) [鉄道(廃線跡)]
中央西線の定光寺~古虎渓間は1966年(昭和41年)の名古屋~瑞浪間の複線電化時に同区間は愛岐トンネルで1本のトンネルになりましたが、電化される前は庄内川沿いに線路が敷設され6つのトンネルがありました。今回、「トンネル群再生委員会」主催によりこの廃線跡を歩く「再生作業現場・第二回秋の市民見学会」が開催され、これに参加してきました。
A班とB班に分かれており、私はB班。やや遅めの出発です。
名古屋を10:17に出発する普通電車多治見行きに乗り、定光寺で下車します。ここは山にへばりついた格好になった駅ですぐ真下を庄内川が流れています。
下車する大半は今回の見学会に参加する人です。無人駅の定光寺を出るとすぐにスタッフが待機していて、受付場所へと誘導してくれました。
細い道路は現在中部電力の施設へと続いていて、普段は関係者以外立入禁止なのでしょう。やがて受付場所にたどり着き、ここで事前に貰った参加証を渡して中に入ります。
振り返ると定光寺駅が見えます。今歩いている場所だともう愛岐トンネルの中に位置します。この先は道が狭く、廃線跡に向かって山の斜面を登ります。元々定光寺からほぼ同じ位置まで廃線があったのですが、その区間はJRの敷地と言うことでこのように迂回しているのです。(最も列車が高速で通り抜けているのでこのそばは通れそうにないからでしょう。)現在廃線跡は地元に払い下げられています。
手摺用として竹が使用されています。恐らく委員の方で作ってくれたのでしょう。
登り切ると廃線跡。既にレールとマクラギは撤去されていますが、バラスト(砂利)は残っています。
落石を防ぐための防護柵も当時のままでした。
鉄橋は撤去されているため、仮設の橋が架けられていました。この辺りに生えている竹を流用しているのだそうです。付近に竹製のベンチもありました。ちなみに仮設なので定員は3名。
やがて第4トンネルが見えてきます。玉野第四トンネルといって全長は75m。既に廃止されてから42年、目の前には木が生えています。ここだけでなく至る所に大木が自生しています。とてもここを列車が40年以上も前に走っていたとは想像がつかないくらいに。
トンネル内は当然ながら照明はありませんから、懐中電灯が大活躍となります。持っていないで歩くと人とぶつかります。足下も良い状態ではありません。
トンネルを抜けるとやや広い場所に出ます。元々作業員達がこの場所を使って休憩にも利用されたようです。茶席が用意されていました。
付近に生えている楓の木。大きいです。
付近を流れる庄内川この辺は見晴らしが良く、恐らく列車内からもこの景色が見えたのではと思います。
再び橋梁跡。ここでも仮設橋がかけられていました。定員は3名。
この先落石防止の壁が設けられていました。ここも当時のまま残されています。
後半に続く。
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